第一章 右腕

第一章 右腕

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 恐ろしいのは悪夢ではなく、これこそが現実だということ。

 

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    右腕

 

 まず右腕を失った。

 持てる荷物が半分になった。

 多くの患者がそうであるように、入院生活で必要なものは徐々に増えていく。退院の日、たまった私物をまとめて幾つかの手提げ袋に入れたが、左手一本で家まで持ち帰るには多すぎた。看護師に聞くと、総合カウンターの横に宅配便の窓口があるというので、そこに持ち込んだ。左手では住所を書けなかったので、口頭で郵便番号と番地と連絡先を伝えると受け付けてもらえた。肩にかけられるトートバッグひとつで退院することができた。カード一枚で電車にもバスにも乗ることができた。

 家の近くのコンビニの前を通りかかった時、そういえば家に食べるものがあっただろうかと思い至った。記憶が曖昧だ。戸棚や冷蔵庫の中を思い出そうにも、退院手続きで疲れていて頭が働かない。鞄から財布を出すが、財布を持ったままでは紙幣が取り出せない。財布をカウンターに置いて千円札を出して渡す。小銭もあったはずだが、小銭入れのファスナーを片手で開けることにトライする気は起きなかった。釣り銭を受け取り、ポケットに突っ込んで店を出た。家の鍵をすんなり開けることができた時は、もう何年も味わったことがないような安堵感に包まれた。学生時代、友人たちに勧められて初めてインドに一人旅をして帰ってきたときのような安堵感だった。靴を脱ぎ荷物を置くとベッドに直行した。まだ昼間だというのに吸い込まれるように眠りに落ちた。

 日暮れ時に目覚めると時間の感覚が掴めないものだ。時計は五時半を指しているが、一瞬明け方なのかと錯覚する。更に見慣れた天井が久しぶりで、そうか、家に帰ってきたのかと自分に確認する。

 コンビニで買った弁当は、満足度では病院食と大差ないな、と思った。病院食の方が味付けはよかったが、煮物や焼き魚が多く、がっつりした揚げ物や歯応えのある肉は出てこなかった。基本的にベッドから動かない生活を思えば、決して量が少ないわけではなかったが、なんとなく物足りなかった。コンビニのカツカレーは、カツは薄いしカレーはしょっぱいだけだったが、一応満足して、また眠った。

 翌朝、インターホンの呼び出し音で目が覚めた。退院早々来客とは誰だとベッドに寝たまま訝しんだ次の瞬間に、昨日病院から宅配便を出したことを思い出した。寝間着を着るのが面倒で、下着のまま寝てしまっていた。このままの格好では出られない。ズボンを穿きかけたが手間がかかりそうで、インターホンに「すみません、部屋のドアの前に置いておいてください」と言う。ようやくスウェットを穿いて表に出ると、ダンボール箱がひとつドアの前にあった。紙袋やエコバッグ数個に入れて渡した荷物を、宅配窓口でひとつにまとめてくれたのだろう。取っ手も何もない横長の直方体は、おそらく両手で持てばたいした重さではないに違いない。しかし片腕を回して脇に抱え込むには幅が広すぎ、どうにか抱え上げたところで今度は閉まったドアを開けることができない。

 両腕がなければ持ち上げられない荷物は、途方に暮れる私の前でいつまでも床から離れなかった。

 箸を持つこと、歯を磨くこと、コンタクトレンズを入れること、あごひげを形良く剃り残すこと。覚悟はしていたが、利き手だけが行ってきたすべての細かい作業を、二歳児並みの左手に教え込まなければならなかった。文字を書くこと、野菜を切ること、牛乳をこぼさずにコップに注ぐこと、洗剤をつけたスポンジでコップのふちを洗うこと、ヘアブラシに絡まった髪の毛を取ること。想像以上に多くのことができなくなっていた。

 思ったよりも簡単に克服できることも幾つかあった。ここ一年ほど一人暮らしで、料理はほとんどしていなかったから、スーパーの惣菜やコンビニの弁当で済ませるのに抵抗はなかった。食器を洗わずに済むよう、使い捨てのコップも買った。容器の蓋を開けるのが難儀だったが、時間をかけてゆっくり取り組めばなんとかなった。破れないビニールははさみを使い、ペットボトルのキャップはボトルを股に挟んで開け、牛乳パックは口を使ってなんとか開けた。やってみればなんとかなることは多かったが、すべての動作が見積もりより大幅に時間がかかることの連続で、一日にできることはごくわずかだった。

 手術前はよく外食もしていたが、まだ食事に出かけるのはためらわれた。体力は戻っても、やはり人目が気になる。片腕がない外見はさることながら、片手だけでうまく食べられる自信がまだなかった。片腕の男が米粒やらスプーンやら散らかしながら必死で食事していたら、見ている方は気が気ではないだろう。自宅ですら、気を抜くと食べ物や飲み物をこぼしてしまう。布巾を絞ることができないので、キッチンペーパーやウェットティッシュが大活躍した。生活の中で使い捨てで代替できるものはなんでも切り替えた。そして家のトイレがウオッシュレットで本当に良かったと思った。

 こういう時、普通は家族が支えてくれたりするものなのだろうか。なくなった右手の代わりに食事を作り、こぼれた汁を拭き、服を洗い、着せてくれ、風呂の介助などしてもらえれば楽なのだろうか。無償で世話をしてくれることに感謝し、同時に家族に負担をかける引け目を感じたりするのだろうか。

 その気遣いのやりとりに疲労しそうだな、と苦笑する。頼れる者がいないのは確かに大変だが、

(そのぶん、気楽でいい  

とも思える。

 風呂上がりのタオルを肩に羽織って冷蔵庫から缶ビールを取り出し、片手で蓋を開ける。病み上がりで飲酒など、と眉をひそめる者もいない。

 親は既に年老いて、頼れる存在ではなかった。むしろこちらが気遣わなければならない年齢だ。五年前には父親が大腸癌を患っている。幸い手術で切除できて転移もなく、たまにゴルフに行くくらいには元気で過ごしているようだ。母親もカルチャースクールに通ったり女友達と食事会をしたりと忙しそうだが、膝の関節炎で特に冬場は辛いらしい。一時は同居も考えたが、一年前に離婚してからはその話も立ち消えた。言葉にはしなかったが孫ができるのを楽しみにしていたのだろう、離婚すると伝えた時にはがっくりと老け込んだ気がする。

 腕を切り落としたことは両親には話していなかった。電話の一本でもするべきかと思ったが、説明して心配されることすら億劫で、つい日が経ってしまった。会う機会があればその時でいいか、と開き直った。

 年の離れた姉は嫁に行ったが、両親の住むマンションからひと駅の近所に住んで、よく顔を出しているようだった。働いている姉は、二人いる子どもが小さい頃はよく両親に預けていた。

 子どもができていれば、離婚しなかっただろうか。離婚していなければ、なにか変わっていただろうか。

 リビングのソファに深く座って、十二畳ほどのLDKを見渡す。ダイニングのダウンライトとリビングのスタンドだけの温かい光源に、薄暗い室内が柔らかく浮かび上がっている。妻と二人、家具屋を巡ってこだわって選んだ革張りのソファは、まだ十分に座り心地がいい。

 片腕をなくして、仕事の先行きも不安定なまま、妻と子どもを養えたのだろうか。妻は働いて、子どもは保育園にでも通い、みんなが少しずつ苦労しながら、支え合っていく、そんな幸せな家庭がここにあったのだろうか。

 退院後はじめてのアルコールは喉から胃へとつめたく降りていった。喪った片腕分、ソファが広く感じられた。

 

 養うべき妻子がいなくても働かずに暮らしていけるわけではない。保険とわずかばかりの手当が出たが、ひと月の生活費には到底足りなかった。それでも二週間ほどはPCを開く気も起きなかったが、月末に来た種々の支払い明細と預金口座の収支を見て、ようやく重い腰を上げる気になった。貯金を切り崩すのは、将来に対するじんわりとした不安を増大させた。

 フリーランスで働いていたので、在宅のまま仕事ができるのはありがたい。PCを立ち上げ、次々と受信する大量の未読メールを流し読みする。前半は入院したことへの見舞いが多く、退院した前後あたりからちらほらと作業依頼が入っている。といってもどれも新規の仕事の依頼ではなく、進行中の案件や過去に行った案件の修正などだ。それでも小金が入れば助かる。ひとつずつ返信していくが、左手だけのタイピングは思ったよりも時間がかかった。昼前から作業して、途中軽い食事をとりながら、ひと通りメールを返し終わったのは六時を回っていた。数件フォローの電話を入れたかったが、一旦休憩……とソファに横になったら目覚めたのは夜の十時前だった。よほど深く眠っていたのか、一瞬にしか感じられなかった。電話は諦め、テレビをつける。そしてすぐに消す。

 人生観が変わったなどと大仰なことを述べるつもりは毛頭なかったが、退院してから人の声がどうにも空疎に感じられて放送を聞き続けることに耐えられない。それでも習慣でテレビをつけてしまうが、内容が頭頂らへんを上滑りしていくようで全く興味が湧かない。好んで観ていたニュースやドキュメンタリー番組も、すべて他人ごとにしか感じられなくなった。映画やドラマは感情移入できないせいか、見終わる前に退屈でやめてしまう。ワイドショーやバラエティ番組に至っては、大勢の出演者がてんでに話す声が不快音にしか感じられずに慌てて消す始末だ。

 こんな精神状態で、果たして他人と関わって仕事していけるのだろうか。テレビのリモコンを置き、横にあった雑誌を開く。だがこれも、太い文字のどぎつい煽り文句がうるさく、本文の細かい文字は目が疲れるばかりで、内容は先程のテレビ同様にすべて自分とは無関係の世界のことに感じられた。雑誌を閉じてごみ箱に突っ込み、ふと思い立ってあまり入らない奥の部屋に行って書棚を眺める。目についた古い文庫を手に取った。学生時代に買った本だ。数年ぶりに開いたが、これまで何度も読んだのでストーリーは全部覚えている。主人公がパラレルワールドに迷い込む、それこそ自分とは無縁の、想像の世界の物語だ。抑揚のない活字と読み慣れた展開は不思議と脳を安心させ、やがて心地よい眠気がやってきた。今度は落下するような眠りではなかった。

 翌朝の目覚めはすっきりしたものだった。病後の軽い鬱状態だったのかもしれない、と思いながら、昨夜しそびれた電話をかける。他人と関わっていけるのかという心配はすぐに消えた。見舞いの礼と仕事を休んだ詫びと事務連絡、軽いジョークまですらすらと出てきた。こちらが明るく振る舞うことで、腕を失ったことを知った相手の沈痛な声が、安心したように一様に和やかになるのが面白く、その変化にちょっとした満足感を得て電話を切るのだった。

 その日の午後、勇気を出して、近所のカレー屋に行った。こぢんまりとした店なのに人気があり、十二時前から二時近くまでは店の横の狭い路地に五〜六組は行列ができている。混み合う時間は避けて三時過ぎに行くと、狙い通り客は一人しかいなかった。入ってすぐ、端の窓際の席が空いていたので、右腕を窓側にして座る。窓の外の新緑が五月の木漏れ陽を燦めかせて、なんとも清々しい。いい季節だ。外に出てよかった。

 人気メニューなのだろうか、一番上に大きく写真付きで載っているのは「骨付きチキンのバターカレー」だったが、骨をうまく避けられるだろうかと弱気になり、「豚バラ肉のスリランカ風」にした。近所なので何度か来たことがあり、どんな料理がどんな食器で出てくるかもわかっているので、少しは安心だ。

 最後に来たのは、まだ妻と別れていない頃だ。

 おいしいねえ、と言いながら、彼女は今にも泣きそうな表情で唇を歪めた。左右にきゅっと引いた唇が、震えながら小さく開いては、思い直したように前歯で下唇を噛む。言いたいのはこんなことじゃない、カレーの味の感想なんかよりも伝えなければいけないことがある、でもそれが言葉にならない、或いは言葉にしてはならない、そういう迷いが、葛藤が、焦燥が、彼女の唇の動きに表れていた。結局その後ろくに会話もないままカレーを食べ終えて店を出た。結婚式などで着飾る時以外は口紅をひかない女だった。

 その翌月、彼女は家を出ていった。

   子どもができました。離婚してください  

 短い手紙と離婚届が届いたのは、更に二ヶ月後だった。

 子どもの父親が自分ではないことは明らかだった。だから敢えて手紙にもそのことは触れられていないのだろう。なんとなく現実感がなく放置していたら、催促の連絡が来た。産まれる前に離婚届を出さないと父親があなたになってしまうと言われ、ようやく判を押した。

 それから彼女とは会っていない。

 カレーが来た。さらりとしたルーに複雑なスパイスの香りが溶け込んでいる。具だくさんで、角煮のようにごろりと大きな肉といろいろな種類の野菜が入っていて食べ飽きない。退院後に食べたレトルトのカレーには、肉がひとつか、せいぜいふたつしか入っていなかった。その少ない肉を貧乏臭く最後まで残しておいたりしていたが、今日の肉は食べても食べてもたくさんあって、頬張るのが嬉しくなる。口いっぱいに広がる豚の脂の甘みに恍惚としながら、合間に歯ごたえの残るオクラや、ねっとりと柔らかいじゃがいもを食べ、また肉を喰らう。胃が満たされていく。身体が満たされていく。

   おいしいなあ。

 一人なのに、そう声に出して言いたいほどうまい。うまくて嬉しくて頬が緩み、むしゃむしゃと噛んで飲み下して、しみじみと呟いた。

「おいしいなあ」

 おいしいねえ。

 

 住所と名前を左手で難なく書けるようになった左手の先に疼痛を感じたのは、退院から八十九日目のことだった。


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