昔、あづまの国にひとりのぬすっとがいました。
西へ向かう商人をおそってはお金や売り物をうばい、北へ向かう旅人をおそっては着物をうばって暮らしていました。お金や売り物をとられた商人は路頭に迷い、着物をとられた旅人は寒さにこごえました。相手が男でも女でも、子どもでも年よりでも、関係なく盗みをはたらきました。ぬすっとの出る山道を通るものは、みなぬすっとをおそれました。
ある日、ぬすっとは山道を行く少年をおそいました。少年はその年の年貢として、村の女たちが夜も寝ないで織った布を持っていました。これをとられれば領主へ納めるものがなくなります。村へ帰ることもできません。少年は必死でぬすっとを追いかけました。
ぬすっとは逃げました。けもの道といって、山に住む者しか知らない道を走り回って逃げました。街道しか知らない少年はすぐに迷いました。やがて日が落ちて、暗い山道を進むうち、少年はあやまって滝つぼに落ちてしまいました。
滝つぼに落ちていく少年の声を、遠くでぬすっとは聞きました。
「よし、よし。助かった」
そう言ってねぐらへ帰ろうとしたぬすっとの前に、いつの間に現れたのか、山伏がひとり立ちふさがっていました。
「ぬすっとが盗みをはたらくは、それが業とていたしかたなきこと。だがおぬしは罪なき者をふみにじりすぎた。手にかけた者らの命、来世でとくとつぐなってくるが良い」
山伏はそう言うと手にしたつえでぬすっとをひと突きし、ぬすっとは谷底へ落ちていきました。
ぬすっとは、深い深い谷底のさらに底へと落ちていきました。
そこはもう地獄でした。
ひからびた地面のそこここに開いた裂け目から炎がふきだし、はだかの罪人たちが熱さに叫びながらはいずっています。人の三倍ほどもあろうかという図体の赤鬼が怒りもあらわにほえたて、熱さをものともせずに炎を踏みしだいてのっしのっしと歩きまわるものですから、罪人たちはますますおびえて涙を流します。そしてこれまた青ざめた血管を浮かび上がらせた青鬼が両目をぎょろりとひんむいて、おののく罪人たちを引き立てていきます。罪人たちが剣の山を歩かされ、鬼のナタで細かく切られ、血の煮えたぎる大がまでゆでられる、おそろしい光景が、見渡す限り広がっています。
ぬすっとは自分もはだかになっていることに気づきました。あれよ、という間に鬼につかまり、剣の山の上にほうり投げられ、ごろごろと転がって血の海へ落ちました。
そうして千年が過ぎました。
ぬすっとは千年続く地獄の苦しみに疲れ、もう泣き叫ぶ力も残っていませんでした。自分がなぜ地獄にいるのか、もはや自分がぬすっとだったことさえ、忘れかけていました。鬼の姿を見ると「悪かった、許してくれぇ。悪かった、許してくれぇ」と、ただただ弱々しくくり返すばかりでした。
そこへ仏さまがやってきて、こうおっしゃいました。
「おまえは今から人間の世界にかえる。そこで人を助け、命を大切にすれば、罪は消え極楽へゆけるであろう」
気がつくと、ぬすっとは見たこともない場所に立っていました。
どこにも鬼もいなければ、血のひとしずくも見当たりません。青空に鳥がさえずり、明るい木もれ日がふりそそぎ、遠くで噴水がきらきらとかがやいています。地面は平らにならされて、広場を取り囲む木々はきれいに刈りこまれています。その向こうには、見たこともないような高い四角い建物が並んでいます。千年もいた地獄がまるで夢の世界のように、おだやかで明るい景色です。
「あ、ロボットだ!」
通りかかった子どもが、そう言ってこちらを指さしています。
(ろぼっと?おれはぬすっとだぞ)
ぬすっとは思わず自分の両手を見ました。それはあのやわらかい人間の手ではなく、銀色のつるりとした、かたい作りものの手でした。
「ア、アア、ココココハドドドココ……」
声を出してみますが、まるで自分の声ではないようです。しかもあまりうまく話せません。
「ほんとだ、ロボットだ!」
「どうして公園にロボットがいるんだろう?」
子どもたちが次々と集まってきます。
(どうやらおれは、人間ではなく「ロボット」という人形になってしまったようだ)
と、ぬすっとだったロボットは思いました。
「コココハドドコココデスカカカカカカ」
子どもたちはどっと笑いころげました。
「なんだこいつ、こわれてるじゃないか」
「あはははは、こここここどどどどど、って、バカじゃないの」
「やーい、バーカ、バーカ。おバカロボット」
子どもたちはロボットをひやかします。
「キキキキミキミキミタチハ」
「はい、なんですか?おバカロボットさん」
「キミタチハヤサシクナイナイナイデスナイデスネ」
「なに?なんて言ったの?」
「優しくない、って言ったんじゃないのか」
「なんだよこいつ、ロボットのくせに」
怒った子どもたちは、ロボットをけとばして、行ってしまいました。
ロボットは起き上がって、そばのベンチによろよろとこしかけました。
しばらくすると、男の人がやってきました。
「なんだこのロボット、じゃまだなぁ。ちょっとどいてくれないか?」
「スススミマセン」
ロボットが立ち上がると、男の人はベンチに座ってたばこを吸いました。そして吸い終わったたばこをふんづけて、行ってしまいました。
(人間の世界で人を助けなさい)
ロボットは仏さまの言葉を思い出しました。もう地獄へ行くのはごめんです。ロボットはたばこを拾い、ゴミ箱に捨てに行きました。
夕方になり、夜になりました。子どもたちはみんな帰ってしまいました。
時折、ジョギングをする人たちが走りすぎていきます。彼らにはまるでロボットなんて見えていないようです。犬の散歩の人もいます。犬はフンフンとにおいをかいでいきます。一度、おしっこをひっかけられそうになって、ロボットはあわててよけました。人も犬もだんだん少なくなり、やがて公園には誰もいなくなりました。公園のまわりを取りかこむ、高い建物の窓の明かりも消えて、外灯の明かりだけが静かに灯っています。
夜の公園で、ロボットはひとり、言葉を話す練習をしました。
翌朝、ロボットは公園のおそうじのおばさんの声で起こされました。
「あらまあ、こんなところにロボットがいるなんて、まったくどうしたことかしら?困るわ、いったい誰が置いていったんだろうねぇ」
「オオオ、オヤクニタチマス」
ロボットはひとばんじゅう練習した言葉を言いました。極楽へ行くためには、人を助けなければなりません。
「役に立つって言われてもねぇ。とりあえず公園から出ていってくれないかい」
そこでロボットは仕方なく公園を出て、あてもなく歩きだしました。
しばらく行くと、何やらこまった様子でうろうろしているおじいさんに出会いました。ロボットは、今度こそ人助けができるかもしれない、と思って、おじいさんに声をかけました。
「ドウシマシタカ。オヤクニタチマス」
「ああ、助かります。実はぼうしをなくしてしまって、探しているんです」
「ソレデハ、ワタシモ、サガシマス」
おじいさんとロボットは、町を歩き回ってぼうしを探しました。ところがなかなか見つかりません。
「あれはねぇ、亡くなった妻が、誕生日にくれたぼうしなんですよ。とても気に入って、大切にしていたんですがねぇ……」
おじいさんは寂しそうに言いました。
坂道にさしかかりました。おじいさんは疲れたのか、立ち止まって汗をふいて、持っていた水筒で水を飲みました。ふと前を見ると、道ばたで何かがパタパタとはねています。近寄ってみると、赤い小さな金魚でした。
「おや、どうしたんでしょうね」
おじいさんはそう言って、上を見ると、
「ああ、あそこかな」
と言いました。なるほど、すぐ横に建っているマンションの二階のベランダに、金魚鉢が倒れています。
「猫か何かが、いたずらしたかな」
ロボットは、また仏さまの言葉を思い出しました。
(命を大切にすれば、罪は消え極楽へゆけるであろう)
そこでロボットは、両手で金魚をすくうと、おじいさんに言いました。
「スミマセン、ココニ、ミズ、スコシ、クダサイ」
「ああ、いいとも」
おじいさんは水筒の水をロボットの手に注ぎました。ロボットの両手の指はすき間なく閉じて、金魚は手の中で泳ぎだしました。ロボットはそのまま両手を手首から外して、そっとマンションの入口のわきに置きました。
「きみ、手はいいのかい?」
おじいさんが聞きました。
「エエ、ワタシ、テガ、ナクテモ、ダイジョウブ」
ロボットは答えました。
坂を登りきったところには小さな神社がありました。
「ア、アソコニ、ボウシ」
ロボットは上を見上げて言いました。境内にそびえる木の上に、ぼうしが引っかかっていたのです。
「そうだ、あれだ。ああ良かった!」
おじいさんは叫びました。
「でも、あんなところにあったんじゃ、とても届かないなぁ……」
おじいさんはがっくりと肩を落とします。
「ワタシニモ、トドキマセン」
ロボットは少し考えて、大きな声で木の上に向かって呼びかけました。
「カラスサン、カラスサン、ソノボウシ、モッテキテ、クレマセンカ」
すると、木の上にいたカラスがばさばさと羽ばたいて答えたのです。おじいさんはびっくりして声も出ません。
「カア、カア。おまえのその目をくれるなら、取ってやってもいいぜ」
カラスは光るものが好きなのです。ロボットの両目は、それはそれは美しく光る、翡翠色の玉でできていました。
「オヤスイ、ゴヨウデス。ハイ、ドウゾ」
ロボットは美しい緑色に光る片方の目を外して、カラスに渡しました。約束どおり、カラスはぼうしをくわえて下りてきました。
「ありがとう、ありがとう」
おじいさんは何度もお礼を言って、ぼうしを大切そうに抱いて帰っていきました。
ロボットがまたあてもなく町を歩いていると、小さな女の子がしくしくと泣いているのにでくわしました。ロボットは女の子の前にしゃがんで、できるだけ優しい声で話しかけました。
「ドウシマシタカ。マイゴ、デスカ」
女の子は泣きながら、おかあさん、おかあさん、とくりかえしています。まだ小さくて、道もわからないのでしょう。
「オカアサント、ハグレタ、ノ、デスカ。オカアサン、ハ、ドンナヒト、デスカ」
すると、女の子は泣きながら、首に下げていたパスケースを差し出しました。そこにはおかあさんと女の子の写真が入っていました。その写真の下には名前と住所が書かれた紙が入っていました。きっと女の子の家なのでしょう。でもロボットは、その住所がどこなのかわかりません。
女の子はあいかわらず、おかあさん、おかあさん、と言って泣いています。
ロボットはなんとかして女の子を泣き止ませたいと思いました。
ロボットの胸には四角い画面がついています。小さなカメラと、スピーカーもついています。ロボットは女の子のおかあさんの写真を撮って、胸の画面に大きく映してみました。ちょっと動かしてもみました。それから女の子の声を少し大人っぽくして、その声で女の子の名前を呼んでみました。
「おかあさん!」
女の子はぱっと笑顔になって、ロボットに抱きつきました。
その時です。
「こんなところにいたのか!探したんだよ」
突然うしろから男の人の声がしました。
「おとうさん!」
女の子は探しに来たおとうさんに飛びついていきます。
「びっくりした。きみ、ロボットか」
女の子のおとうさんは、ロボットをしげしげと見て言いました。
「ねえおとうさん、わたしこのロボットがほしい。おかあさんといっしょにおうちに帰りたい」
おとうさんが言うには、女の子のおかあさんは少し前に病気で亡くなってしまってい たのでした。まだ小さな女の子はおかあさんに会いたくて、寂しくなるとおかあさんを探しに、家の外に出かけていってしまうのだそうです。
ロボットは体から胸と両腕をはずして、女の子にあげました。おとうさんには、カメラとスピーカーの使い方を教えました。女の子はロボットの胸をぎゅっと抱きしめました。手首までしかないロボットの両腕も、女の子をやさしく抱きしめました。
おとうさんと女の子は手をつないで、影を長く伸ばして帰っていきました。
町にはまた、夕暮れがやってきました。
腰の上に頭をのせたロボットは、出会った人を少しずつ助けながら旅をしました。
ある日ロボットは、砂漠で脚のない男に出会いました。
「アナタハ、ドコカラ、キタノデスカ」
ロボットは男にたずねました。
「砂漠の向こうの、ずっとずっと遠い国さ」
男は言いました。
「おれは戦争に行っていたんだ。爆弾で両脚がなくなって、戦えなくなって帰るところだが、車いすがまったく動かなくなってしまった」
なるほど、砂に半分埋もれた車いすは、もう少しも動かないようです。
ロボットは男の顔に見おぼえがありました。遠い昔、ぬすっとだった頃の自分に似ていたのです。昔々、ろくに鏡もない時代のこと、ぬすっとは自分の顔をはっきりと見たことなどありません。それでも、ぬすっとだった頃の自分はたしかにこんな目をしていたに違いない。暗く、誰も信じない、やさしさのかけらもない目をしていたに違いないのです。
「家に帰りたい」
男はぽつりと言いました。
「長いこと家に帰っていない。家族もおれのことなど忘れただろう。もしかしたら家に帰っても、もう誰もいないかもしれない。だけど帰りたい。たとえ思い出しか残っていないとしても」
ロボットは男の顔をながめました。この男は戦争でたくさんの人を殺したのでしょう。
兵隊だから、戦争で人を殺すのは、それが業とて仕方のないことです。ぬすっとが物を盗むのと同じです。そして死んだらきっと、あの地獄へ行くに違いないのです。
「ワタシノアシ、ヲ、サシアゲマショウ。コノ、アシヲ、コシカラハズシテ、ソノ、ウエニ、ノレバ、アルイテ、ユケマス」
こうしてロボットは、とうとう頭だけになってしまいました。
頭だけになったロボットは、片方残った緑色の目で、男が歩いて去っていくのを見送りました。男の姿はだんだん小さくなり、やがて砂の向こうに消えました。
そして何年も何年もたちました。
砂漠に転がったロボットの頭に砂がおおいかぶさり、その砂が風に吹きさらわれてふたたび顔を出し、それを何度も繰り返しました。
あれからだれひとり、そばを通るものはありません。
もう人の役に立つこともないのかな、とロボットが考え始めたとき、砂漠の向こうに小さな影が現れ、だんだん大きくなりました。
旅の少年がひとり、ロボットのところにやってきました。
ロボットはこの少年に会ったことがあるような気がしましたが、思い出すことができません。
「モシモシ、ナニカ、オヤクニタテマスカ」
ロボットはかすれた声で少年に言いました。
「それじゃあぼくの友だちになって、いっしょに旅をしてくれよ」
少年はロボットの頭についた砂をていねいにはらって、言いました。
「ひとりで旅をするのはたいくつだからさ」
「オヤスイゴヨウデス」
ロボットは喜んで言いました。
「ゴランノトオリ、ワタシニハ、モウ、テモ、アシモ、カラダモ、ノコッテイナイケレド、ハナシハ、デキマス。ソシテ、デンチガキレタラ、ワタシノカタメト、ブヒンヲウッテ、ソノオカネ、ツカッテクダサイ」
そうして少年はロボットの頭を抱えて旅を続けました。夜はたき火を囲んでいつまでも話しました。
「きみはどうして頭だけしかないの?」
ある夜、少年はロボットにたずねました。
「ココニクルマデニ、ゼンブ、アゲテシマイマシタ」
「どうしてそんなことをしたんだい」
ロボットは少年にこれまでのことを話しました。
ぼうしをなくしたおじいさんのこと、おかあさんに会いたかった女の子のこと、金魚の話、脚のない男の話……。
「ワタシハ、ムカシ、ヌスット、デシタ。ソノツミヲ、ツグナウタメニ、コノヨニ、ウマレカワリマシタ。ダカラ、コンドハ、ワタシガ、モッテイル、モノヲ、コマッテイルヒトニ、サシアゲテ、イルノデス」
少年も、これまで旅をしてきた町や出会った人の話をしました。
ふたりの話は尽きることがなく、いつしかかけがえのない友だちになっていました。少年と話していると、ロボットは心が安らいでいくのを感じます。
ロボットはもう、極楽へ行きたいとは思いませんでした。もうじゅうぶんにしあわせです。
砂漠の満天の星空にいくつも流れ星が流れるのをながめながら、ロボットはしずかに片方の目を閉じました。