第一章 血に飢えたロンドンの夜と時間迷宮の館<8>

第一章 血に飢えたロンドンの夜と時間迷宮の館<8>

「……いつへ飛びたい?事件の夜か?」

 ガタッ、と椅子を鳴らして立ち上がったのはヘイゼルだった。

「まさか……できるのか、タイムトラベルが?」

「できなきゃわざわざ自分の家にこんな通り名はつけない。過去へも未来へも行けるし、五分だけなんてケチくさいことは言わん。料金は相応にいただきますがね」

 すかさずシャーロットが叫んだ。

「わたしも連れて行って」

「また何を言い出すの。戻れる保証がないのに連れていけるわけがないでしょう」

 ジョシュアは好奇心旺盛な妹を無理矢理でも家に帰さなかったことを激しく後悔した。

「そんな。戻れる保証がないからこそ行きたいわ。戻ってこられないことよりも、お兄さまと会えなくなる方が嫌だわ」

 シャーロットはジョシュアにすがりついて懇願する。そんなに仲良い兄妹だった覚えはないのだが、とジョシュアは思ったが口には出さなかった。

「そういうことでしたら私も行きます」

と、ジャックも言い出す始末だ。

「どいつもこいつも失礼な奴ばかりだな。少しは私の腕を信用してほしいものだ」

 ハルは呆れて頭を掻く。

「ちょっと待ってくれ。俺も行くぞ。時間旅行の体験記事なんて今まで誰も書いていないからな」

「お前は来なくていい」

 ジョシュアが一蹴する。しかし、ハルが言い渡した。

「いや、連れていくのは、ジョシュアとヘイゼルだ」

「何故……!」

 外されたジャックが珍しく大きな声を上げ、ハルに詰め寄った。

「殺人の現場に行こうというのにお嬢さんを連れて行くのは誰が考えたって危険すぎる。しかし君が言っていたことが正しければ、まだおかしな化け物がロンドンをうろついているかもしれない。そんな中、お嬢さん一人この館に残していくのも不安だ。それに、誰か一人は残って砂時計を監視せねばならないが、そこの記者は気まぐれすぎる。ジャック、君が一番信用できる。主人が無事に戻れるよう全力で見守れ」

「砂時計?」

「そう、これだ」

 ハルが机に置いたのは、お茶用の五分間の砂時計だった。

「時間旅行に旅立つと、砂が落ち始め、砂が落ち終わるまでに帰ってくる。『見張り役』は全員が戻るまで、この砂時計が水平を保つよう見張るんだ。砂時計はもうひとつ……」

 ハルはポケットからもうひとつの砂時計を出す。

「こちらを『向こう』へ持っていく。その砂時計が水平であれば、こちらの砂時計の砂は呼応する。ふたつの砂時計が呼応している限り、旅行者は元の時間に戻ることができる」

「へぇ……どういう仕組なんです?」

 ヘイゼルが砂時計をしげしげと観察する。

「まあ、おまじないみたいなものさ」

 ハルは曖昧に答えた。実際、砂時計がなくても時間旅行は可能なのだ。しかし拠り所になるものを作っておくと物同士が呼び合うのか元の世界の同じ時間に帰ってきやすい。砂時計はいわば道標だ。しかしこの男に余計なことを教えて、洗いざらい新聞に載せられたくはない。

 ふたつの砂時計をテーブルに置くと、中途半端に残っていた砂が落ちる。ハルは席を立ち、室内の燭台に火をつけて回る。窓の外はすっかり日が落ちていた。

「さて、準備が良ければすぐにでも旅立てますよ。いかがかな?」

 ハルが改めて言う。

「勿論!」

 ヘイゼルが威勢よく答える。

「大丈夫だ」

 ジョシュアはいちいち暑苦しいヘイゼルに辟易として、この館に来て何度目かのため息をついた。

「では、皆、ちょっと寄って。この円の中に入って」

 ハルの指示で、二人は床に描かれた円形の模様の中に入る。

 ハルが腕時計を操作すると、俄に空中に光の粒が現れた。光の粒はみるみるうちに増えて広がり、三人をすっぽりと包み込んだ。ハルは砂時計をふたつ同時にひっくり返し、素早く片方をテーブルに戻した。ロッドとリリーが光の中に飛び込んできた。

「お兄さま!」

「ご無事で……!」

 ジャックが言い終わらないうちに、三人は光の中に消えた。


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