第一章 血に飢えたロンドンの夜と時間迷宮の館<7>

第一章 血に飢えたロンドンの夜と時間迷宮の館<7>

 館はゴシック建築の尖った屋根が古めかしい印象の、石造りの建物だ。高い鉄柵に囲まれた庭はそう広くはないが、当時流行の田園風景を取り入れたスタイルで、草木が所狭しと生い茂る合間を縫うように、かわいらしい小道が玄関まで伸びている。

 館の主は東洋風の顔立ちの少年だった。髪を金髪に染めている。見たところ十七、八か。

「ようこそ『時間迷宮の館』へ、ミスター・エヴァンズ。私はハルキ・モーガンといいます。ハルで結構ですよ」

「はじめましてミスター・モーガン。ジョシュアで結構です。すみません、ちょっと連れが増えてしまいまして、妹のシャーロットと、彼は僕のバトラー、あと……」

「タイムズ紙のヘイゼルです」

 ジョシュアの、紹介する気も起きない、といった雰囲気を汲み取ってか、ヘイゼルは自己紹介する。

「彼は勝手についてきたのだ。不都合であればお引取り願っても結構です」

 ジョシュアは冷たく言い放ったが、ハルは笑って奥へと促した。

「構いませんよ。皆様、どうぞこちらへ」

 玄関ホールは広い左右対称の造りで、二階までの吹き抜けになっていて、正面の階段は踊り場で両側に振り分けられている。

「まぁ、なんて豪華なのかしら」

 優美な曲線を描く真鍮の手すりに、シャーロットがため息をつく。

「私ひとりなのでね。掃除も行き届かないしほとんど使っていない部屋ばかりですよ」

 ハルは笑って階段を登り、客間のドアを開けた。

 客間の天井も二階分ほどある高さで、大きな窓には金の房のついた真っ赤なカーテンがかかり、一層豪華に見える。家具もロココ調の花柄のソファーや大理石をあしらった暖炉など、どこをとっても華やかなりし時代を思い起こさせる。フランスとは対象的に、イングランドでは控えめで実用的な様式が好まれたため、この館のような内装は珍しく、少女趣味のシャーロットが夢中になったのも無理はない。

 ハルが紅茶のポットを持って現れた。

 中国の白い磁器に注がれた茶は、美しい紅色で独特の花の香気がした。

「キームンですね」

「おや、趣味が合いそうだ」

 ジョシュアが茶葉の種類を言い当てると、ハルも少し嬉しそうに言う。

「失礼ですが、この館はご自身で買われたのですか?この広いお屋敷にお一人で、ご不便はない?使用人は通いで?夜はちょっと寂しいような気もしますが」

 失礼な質問を投げたのは失礼を職業にしていると言わんばかりの新聞記者だ。ジョシュアが遠慮なく睨みつける。しかし当のハルは穏やかに答えた。

「寂しいなんてことはないな。一人なら一人なりにやれるものだ。それに、ミスター・ヘイゼル。私はたぶん、あなたが思っているよりだいぶ年齢が上だよ」

「ヘイゼル、お仕事熱心は結構ですけど少しお黙りなさいな。あなたのお話はお兄さまの御用が済んでからにするのが礼儀でしょう」

 この思いがけないシャーロットの啖呵には、ヘイゼルはもちろん兄のジョシュアも驚いた。前述の通り未婚の女性は大人の男性と対等に話すことなどない。現に昨日はシャーロットは何を言われても挨拶するにとどめていたのだ。しかし今日、突然ヘイゼルに面と向かって話し掛け、しかもその内容が説教だったのだから。

 一同が呆気にとられる中、こほん、と咳払いしたのは館の主のハルだった。

「さて、そろそろ本題に入ろうか」

「……そうですね。すみませんね、騒がしくて。実は昨日、僕の家の前で惨殺死体が発見されましてね」

 ジョシュアは昨日の出来事を説明する。

「ふうん。嫌がらせにしちゃ度が過ぎてるな」

「度が過ぎているというか、不自然なのです。普通、殺人にしろ何にしろ理由があるはずでしょう。現場にはそれなりに、被害者の事情や加害者の意図が浮き出てくるものだ。ところがこれは誰が殺したのか、誰を殺したのか、なぜあそこに捨てられたのか、さっぱりわからない」

「何か心当たりはないのか?仕事で揉めたとか、家族のこととか、……恋人とか」

「これまでの人生で揉め事が一度もなかったと言えば嘘になるが、どうにもそういった関わりのある事件だとは思えなくてね」

 ジョシュアが一段と低い声で言った。

「このロンドンに、何かおかしなことが起こっている気がしてね。現に僕は昨夜、鋭い牙のある化け物を見た」

 ジョシュアはシャーロットの方を向く。

「シャーロット、君は言っただろう。時の扉が開いたと。それが合図だ。『地獄の使い』とは誰だ?そいつは人ひとり餌食にしてそれで満足してどこかへ消え失せたのか」

「お兄さま、何を……?」

「きっと、もっと恐ろしいことが起きる。そんな気がしてならないんだ。不可解な殺人も異形の化け物も、その警告に過ぎないんじゃないのか?」

「ほほう」

 ハルは椅子の前に伸ばした脚を交差させると、両腕を肘置きに乗せ、細い指を顎の下で組んだ。ハルの表情からはいつの間にか微笑が消えている。

「それで今日は何故ここに?私がその化け物を飼っているとでも?」

「いいや、そもそもそんなまどろっこしい推理なんてする必要はないでしょう?なんといってもここは、時間が『巻き戻る』館だ」

 いつの間にか部屋には西日が差していた。

「僕はかつて、時間が五分だけ『進む』店に行ったことがある。そこの店主が言っていた  未来には行けるが、過去には行けぬ、と」

 ハルは黙って聞いていた。他の者も同様に黙りこくっていた。皆、ジョシュアが何を言いたいのかはかりかねていた。

「未来は決まっていない。だから行ける。しかし過去は既に決まっている。そこへ行くということは、決まっている過去を変えることになる……だから行けない。過去へは」

 ジョシュアは思い出していた。アラビア語が飛び交う薄暗いマーケットの片隅の、「時間屋」の店主の老人の話を。老人の言葉が記憶に蘇り、ジョシュアの声になって発せられた。

「それが、時間旅行のタブーだ。……彼はそう言っていた」

「それで?どこかでこの館の噂を聞いて、今度は過去へ旅してみたくなってここへ来たというのか?タブーを犯して」

「そうだ」


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