第一章 血に飢えたロンドンの夜と時間迷宮の館<6>

第一章 血に飢えたロンドンの夜と時間迷宮の館<6>

「ほんとうに大丈夫?」

「ああ。ありがとう。君もくれぐれも気をつけて」

 パーティー会場の屋敷に着く頃にはだいぶ落ち着いていたが、ポーリーンは心配して何度も振り返りながら、明るく照らされた屋敷の中に入っていった。

 ジョシュアはその後ろ姿を見送っていたが、招待客が次々と訪れるので、帽子を深くかぶり直した。妙な噂が立っては、一介の商人に過ぎないジョシュアはともかく、ポーリーンの立場が悪くなるかもしれない。御者に家に向かうよう命じると、座席に深くかけて顔を隠した。

 濡れたシャツが背中に張り付いて、酷く冷たい。

 家に帰るなりふらつく脚で階段を登り、ベッドに倒れ込む。ジャックは主人を洗いたてのシャツに着替えさせ、熱いお茶を淹れた。

「夕食はまだですか?ビスケットとコールドビーフくらいならご用意できますよ」

「ありがとう。ビスケットだけでいい」

「どうしてわざわざ屋根付きの馬車を借りて出ていって、そんなに濡れて帰ってくるんですか」

 ジョシュアはベッドから上半身を起こし、紅茶を飲む。ダージリンのストレートティー。力強い香りとコクのある味わいに、頭がすっきりする。乾いたシャツが肌に心地いい。

「ジャック、君は地獄を信じる?」

「なんですか急に」

「昼間シャーロットが言っていただろう。地獄の遣いがなんとかって」

「ああ、そういえば。それがどうか?」

「遭ったんだよ。さっき。化け物に」

「え?」

「顔と胴体が長くて足が短い、毛足の長い獣だ。牙があって、醜悪な  それが、テムズの泥の中から這い上がってきて、道を横切って、どこかへ消えていった」

「まさか……今朝の死体……」

「まだそうだとはわからない。ここからだいぶ離れているしね。ただ昼間あんな話をしたあとで、タイミングよく化け物が現れたので、驚いてしまったよ」

「そりゃ驚きますよ。よくご無事で戻られましたね」

「こちらには見向きもしなかった。……腹が減っていなかったんじゃないか?」

 

 翌朝早く、ジャックは主人の使いで時間迷宮の館に赴き、館の主に面会の約束を取り付けた。

 午後二時、館の前にはジョシュアとジャック、シャーロット、ヘイゼルが揃っていた。

「……なんでこう、揃いも揃って鼻が効くんだ?」

 ジョシュアは呆れ返って一同を見渡した。

 シャーロットは今日は帽子をかぶらず、グレーとピンクのドレスを着てピンク色の大きなリボンを結んでいる。

 ジャックはいつもの黒い服だ。ジョシュアが強制したわけでもないのに、ジャックの服はいつも黒い。持っている服すべて黒い。

 そしてヘイゼルのベージュのスーツも昨日と全く同じに見えるが、こちらはスーツを一枚しか持っていないのだろうか。それとも泊まり込みで仕事をしていたのか。

 招かれざる同行者達の言い分はこうだ。

「朝、リリーが教えてくれたのよ、ジャックがお兄さまのメッセージを持ってこの館に来たって。お兄さまだけずるいわ、わたしだってずっとこのお屋敷が気になっていたのよ」

「新聞記者(ブンヤ)の勘、ってやつですよ、ミスター。犯人がわかれば儲けもの。わからなくてもこの屋敷の話だけで埋め草程度の記事にはなりそうだ」

「昨日あんな状態で帰ってきておきながら、おひとりで外出されるおつもりですか。危なっかしくて放っておける訳がないでしょう」

「ひとりじゃない」

 ジョシュアは両手を広げ、ぐるりと一同を見回して反論した。

「結果論です」

と、ジャックがぴしゃり。

「とにかく行きましょうよ」

 


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