だっこひも

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お使いになったことはあるだろうか。抱っこ紐。

それは赤ん坊抱いて両手が空くという素晴らしく便利な代物だ。

我が子ももうだいぶ成長し、抱き上げられなくなる日も近い。毎日毎日、私と息子を括っていた抱っこ紐も、何年も前に人に譲ってしまった。

 

抱っこ紐の存在すら忘れかけていたある日、唐突に、抱っこ紐姿って実は物凄い破壊力なんじゃないか、と思ってしまった。かっこいいとか悪いとか、そんな単純な話ではない。なんというか、利便性が、美醜やセンスや個性やなんかの色んなものを超越して、存在意義を主張してくるのだ。

だって下にどんなに素敵な服を着ていようが、否応無く「ママ」という外套を着させてくるのである。なんならスマートなスーツを着たビジネスマンもあっという間に「パパ」に変身させる。(パパの場合、その破壊力は二倍になるという噂も)(決して男尊思想ではなく、装着前の服装との落差や、「力のある大の男には赤ん坊一人、補助器具なしで抱えてほしい」というイメージが関係していると思われる)そして赤ん坊とぴったりくっついたその姿からは、甘酸っぱい乳の匂いをさせて、幸福が溢れ出してくる。子育ての疲労と共に。

おしゃれなんて二の次。

我が子を抱いて、やらねばならないことは山積み。

その必死さが滲み出て、更にモンスターのようなお姿に見えてくる。紐なのに。というかよく考えたら紐と名乗ってるくせに紐どころの面積じゃない。元々は紐状のものから進化したのだろうが、もはやそれは抱っこ布、抱っこベスト、抱っコルセット(うまい?)とでも呼びたくなるごつさである。

いっそ抱っこ紐そのものが物凄い意志と自信を持って存在意義を主張しているように思えてくる。

「どうや、オレ便利やろ?なんやかんやゆーてオレおらんと困るやろ?だいぶ助けられとるやろ?あんさんもあんさんもあんさんも」

 

わかる。わかります。すごく便利。感謝してる。

便利どころの話じゃない。もし今もう一人赤ん坊を育てなければならなくなったら、真っ先に買う。それほど、なくてはならないもの。育児の戦友と言ってもいい。(そういえば、衝撃を和らげるために中綿入りで分厚い抱っこ紐は、戦闘服というか、防弾チョッキに似ていなくもない)

そしてその弱みにつけこんで、益々増長しているに違いない。

 

あの頃、抱っこ紐のおかげで、赤ん坊を連れてなんでもできた。毎日お散歩して、ランチにも出かけ、抱いたままトイレも行けたし、満員電車にも乗った。スーパーで両手いっぱいに買い物をして、家までの坂道を登った。抱っこ紐の中で眠る息子の汗ばんだ額を眺めながら歩いた。2人きりで旅もした。どこまででも出かけて行けた。

 

町や駅で抱っこ紐完全装備の人々を眺めては、我が子とぴったりくっつけられた幸福な日々を懐かしく思い出す。

そしてどんな人間でも「親」にしてしまう破壊力の抱っこ紐姿に、改めて感服するのだ。


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